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  • 約20年前からリモートワークを継続中。家族と過ごす時間が、毎日を豊かに。

株式会社ディスタント・ビュー シニアエンジニア
東海林 秀晃(しょうじ ひであき)さん

約20年前からリモートワークを継続中。家族と過ごす時間が、毎日を豊かに。

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美しい芝生が一面に広がる名勝・種差海岸から車で10分ほど。青森県八戸市にある自宅の一室が、約20年前からリモートワークを行っている東海林秀晃さんの仕事場です。

東京都に本社があるIT会社ディスタント・ビューで、Web系アプリケーションのエンジニアとして在籍している東海林さんは、2003年7月からリモートワークによる勤務を開始。普段は自宅で業務に当たり、1カ月に1、2回ほど上京し、取引先との打ち合わせや納品などに臨んでいるといいます。

新型コロナウイルスの感染拡大が契機となって広く普及したリモートワークやデュアルライフですが、東海林さんが始めた頃には、そのスタイルはまったく認知されていませんでした。

今回は「“やっと時代が追いついてきた”とよく冗談で話すんですよ」という東海林さんに、社会的に前例がない中、リモートワークを継続するための拠り所となった存在や感想などについてお話を伺いました。

前例がない中、会社の後押しを受けてリモートワークを開始

山形県出身の東海林さんは、小学5年生の時にパソコンを手に入れ、プログラミングの面白さに魅了されたといいます。そして、仙台市にある専門学校を卒業して東京のIT企業にプログラマーとして入社。その後、フリーランスを経て1997年にパソコン家庭教師派遣を運営する会社にSEとして入り、その後ディスタント・ビューに入社しました。

「パソコンが普及し始めた頃で、顧客の業務システムの開発など、世の中に多くの仕事が溢れていました」。

会社の中心メンバーとして、多忙な時期を過ごす中、東海林さんは2002年に結婚。その後すぐに妻の早苗さんが家族の生活をサポートするため、実家のある八戸に戻りたいという希望を叶えたいと、東海林さんも移住することに。また同じ頃、子どもができたことも移住する理由の一つになりました。

移住までの間、ディスタント・ビューで勤務しながら、新たな仕事探しを始めた東海林さんですが、当時の八戸市の求人を見て「絶望しましたね」と振り返りました。

「希望する業務や収入とは、かけ離れた求人ばかりで。もう一度、フリーランスになることも頭をよぎりましたが、当時は開発したシステムを現場に直接納品することが当たり前だったので現実的ではなく、途方にくれていました」。

八戸へ移住する時期が迫りながらも、次の仕事が見つからなかった東海林さん。その頃、一緒に働いていた上司から意外な言葉を掛けられました。

「新しい仕事が決まっていないことを話すと、『じゃあ、八戸で仕事やればいいじゃん』と。リモートワークという概念すらなかったので驚きましたが、確かに日頃から事務所以外で業務を行うこともあり、八戸でやってみようと決めました」。

フレキシブルな勤務時間など、元々勤務体制が柔軟だったというディスタント・ビューの後押しを受け、東海林さんは2003年7月から八戸市でリモートワークを開始。当初、自宅周辺にはインターネットの光回線も届いていないという環境でしたが、徐々に本社とやり取りする手法やハード面などを整えることができ、2005年頃には現在とほぼ同じ環境を確立しました。

インターネット上のITコミュニティが、もう一つの活動拠点に

図らずもリモートワークの先駆けとなった東海林さん。「よく時間管理のことを聞かれるのですが、基本的には9時の朝会から18時まで、会社にいるように淡々と仕事をこなしていく感じですね」と語ります。そして約20年にわたってリモートワークを続けられている理由について「私を支える2本柱が大きいですね」と説明しました。

1つ目は勤務先の柔軟性や懐の広さ。経営者や従業員の理解・協力はもちろんのこと、リモートワークに必要な機材やコストの一部、出張時の交通宿泊費なども支給されているため、安心して快適に勤務できているといいます。

そして、2つ目がインターネット上のITコミュニティの存在。東海林さんのデュアルライフのもう一つの“拠点”となる場所です。

「正直、八戸にはほとんど友人がいないんですよね」と東海林さん。移住当時はSNSが普及し始めた頃で、東海林さんは全国のプログラマーなどが集まるコミュニティに参加し、質問に答えたり、情報交換したりと交流を図りました。「私と同じようにリモートワークをしているプログラマーも多くて。日本の各地に友人がいる感じで孤独感などはなく、心強かったです」。

東海林さんが、この2本柱のありがたみを特に強く感じられたというのが、東日本大震災発生直後のことでした。

「自宅で仕事ができる環境が整っていたので、震災直後も家族のそばで落ち着いて仕事を続けることができました。また、全国各地の仲間が復興のために協力してくれたのも、とてもうれしかったですね」。

さらに東海林さんはコミュニティから推薦を受け、2003年から2008年までMicrosoftのアワードプログラムでMVPを受賞。同社のイベントにスピーカーとして登壇されるなど、八戸を拠点に広く活動しています。

日頃から信頼関係を構築し、楽しいデュアルライフを

東海林さんはリモートワークをして良かった点について「これまでの20年間、家族とのコミュニケーションの時間がちゃんと取れたことが一番です」と語ります。その言葉通り、東海林さんのご自宅には、至る所に家族4人で映った写真が飾られており、その距離の近さが窺えます。「通勤も必要ないので一緒にご飯を食べたり、子どもたちの小さな成長を逐一見られたことがうれしかったですね」。

また、中学・高校と陸上部だった娘さんの応援のために、近くの八戸東運動公園や県内外へ出掛けるのも楽しみの一つだったといい、昼休みには早苗さんと種差海岸でランチをすることもあるそうです。「東京で暮らしていたら、こんなゆるやかで満ち足りた生活は送れていなかったと思います」。

デュアルライフを検討している人には、仕事や趣味などで人との繋がりを構築しておくことを勧めたいといいます。「インターネットもありますし、知り合いや仲間がいれば、どこにいっても楽しく過ごすことができるはずです。そういった信頼関係を日頃から積み上げておくことが大切だと思います」。

今後は社会保険労務士や宅地建物取引士などの資格を取得し、「そういった仕事をコンピュータに結びつけて、新しいサービスを生み出したい」と語る東海林さん。八戸で家族との暮らしを満喫しながら、新たな挑戦を見据えています。

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