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Interviewインタビュー

リバースコンサルティング株式会社 代表取締役
成田 裕美(なりた ひろみ)さん

「やむなし系Uターン」から独立。人生の幸せを考える

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青森県三沢市にあるリバースコンサルティング株式会社は、青森県で初めてデータサイエンスに特化した、コンサルティング会社です。代表取締役の成田裕美さんは、故郷の三沢市で9歳の女の子を育てながら、青森県内の事業と東京など都心の事業を手掛けるデュアルライフに取り組んでいます。

「わかりやすいように『統計屋と分析屋です』と名乗っています」という成田さんの仕事は、県庁や市役所といった地元自治体からの依頼がメイン。さまざまなデータを活用し、移住・定住促進や観光客拡大などのお手伝いをしています。

成田さんは弘前大学や東京工業大学大学院でデータサイエンスの学びを深め、その後、東京にある外資系コンサルティング会社の日本法人でキャリアを積みました。「人の心理や行動の原因といった目に見えないものを、数値化して見せるという世界にはまりました」。

その経歴から高い志を持って三沢へ戻ったのかと思いきや、本人は「全然そんなことはなくて!東京で働いていた時は、まさか青森に戻るなんて夢にも思っておらず、『やむなし系Uターン』でした」と振り返りました。

それから紆余曲折を経て、独立を果たした成田さんは、「やむなし系の星」になりたいと言います。そんな成田さんに、三沢に戻ってからの仕事や暮らし、デュアルライフ、ワーケーションの魅力などについて、事務所を構えている「三沢シェアオフィスBlue」で話を伺いました。

起業家研修が大きなターニングポイントに

成田さんが東京から三沢へUターンしたのは2014年。そのきっかけは、東京でお子さんを預ける保育園が見つからず困っていた時、三沢に住むお父様が定年を迎え、ご両親に「帰っておいで」と声をかけられたことでした。「ニッチな専門職だから青森に仕事はないだろうなと思いましたが、シングルマザーで娘を預かってくれるところもなく、『えいや!』と決断しました」。

そうして三沢に戻り、仕事を探すと、予想はしていたものの「現実を見て、絶望しました」と成田さん。当時は「ハローワークで『39歳 女性 正社員』で探しても、介護士や保育士、看護師などしかなくて。初めはパートとして事務の仕事に就きました」。

その後、システム会社の研修生になるなど、少しでも条件のいい仕事を探し続けていた成田さんのターニングポイントとなったのが、軽い気持ちで参加した青森県庁主催の起業家養成研修でした。

「初めは起業家という言葉に、野心的でギラギラした人たちの集まりなんじゃないかと敬遠していたんです。でも、実際に参加してみると老若男女さまざまな人がいて、例え大きなスケールじゃなくても、それぞれにやりたいことを持っていてイメージが変わりました」。

そして、研修で講師を務めていたインキュベーションマネージャーが、成田さんの背中を押しました。「『そんなにマニアックな特技があるんだったら、仕事にしたら?』と声を掛けられ、青森県主催のビジネスプランコンテストに参加しました」。コンテストで、成田さんは準優勝に。その補助金を開業資金にして2016年にリバースコンサルティングを起業、2019年に法人化を果たしました。

「地元のメディアに取り上げられるようになり、県内の自治体から仕事を相談されるようになりました。その頃から、これまでやってきた仕事で、三沢でも食べていけるんじゃないかと思うようになりました」。

都心からの相談が増加、バンコクへのワーケーションも

起業後、成田さんはデュアルライフの道を探り始めました。「拠点は三沢に置きながら、業界の新しい情報のインプットのために都心に通い、それを三沢に還元できるようなスタイルを思い描いていました」。

しかし、都心へのアプローチを始めようとした矢先、新型コロナウイルスの感染が拡大し、活動が難しい状況になりました。「当初は東京に行こうものなら白い目で見られそうな風潮だったので、だいぶ自粛していました」。

それでも徐々に経済活動本格化の気運が高まってきた2022年秋頃からアプローチを開始したところ、すぐに都心からいくつかの相談が寄せられたといいます。

一方、コロナ禍によってリモートワークが普及し、成田さんの働き方にも変化がありました。その一つが、ワーケーションです。成田さんはお子さんと一緒に、夏と冬にそれぞれ約2週間、友人がいるというバンコクで過ごしています。その大きな理由は、お子さんの視野を広げること。「私は地方と都会のいい部分も、悪い部分も知りました。娘にもさまざまな世界を見て、その中から自分がどこで暮らすか決められるようになってほしいんです」。

また、仕事においてワーケーションによるマイナス面はないと語りました。「ミーティングには現地からオンラインで参加しました。バンコクでは異文化を楽しみながら仕事をしている感じです。つい遊びたくなっちゃうのが、唯一のネックですね」と笑いました。

大切なのは、人生がトータルでハッピーかどうか

東京で働いていた時は終電帰りが当たり前で、毎日家と会社の往復だったという成田さんは、現在は午後6時に仕事を終え、自宅にはPCはおろか、資料1枚すら持ち帰らず「ママモード」になるといいます。そして、「人生がトータルでハッピーかどうかで考えるようになりました」と語り始めました。

「三沢は自然に恵まれていて、子どもを思いきり遊ばせることができますし、私もリフレッシュできます。それと周囲の人たちとのゆるいつながりが心地よくて。東京にいた頃の方が仕事の選択肢はありましたが、やりがいのある仕事をしつつ、穏やかに過ごせる今の方が心も暮らしも断然豊かですね」。

三沢での時間が長くなるに連れて「都会に人が集まりすぎて、バランスがよくないと意識するようになりました」という成田さんは、地方を盛り上げるためにも、もっと多様な働き方があっていいのではないかと話しました。

「仕事も場所も、もっと自由に選んでいいはずです。都会で働いていても故郷に帰りたいと思っている人も多いと思います。ただ、地元に仕事がなくて戻れないとモヤモヤ過ごしている人たちに、自分で商売するという道があることを発信したいですね」。

実際に、社会人にデータサイエンスの仕事を体感してもらう「大人インターン」といった取組みを行っている成田さん。デュアルライフを検討している人へのアドバイスを伺うと、次のように語りました。 「自分の幸せな姿を妄想し続けることが大切です。そうしていると、その幸せにつながるチャンスが目の前に転がってきた時に、ビビッ!と第六感が反応して、すぐに動くことができます」。さらに、成田さんらしいポジティブな言葉を送ってくれました。「私も新しいことを始める時には不安でしたが、やってみると『何で心配してたんだっけ?』となることがよくあって。『不安や心配は、現実になってからすればいいんだ』と考えるようになりました。デュアルライフへの思いがあれば、一度やってみた方がいいと思います!」。

この日、オフィスへ打ち合わせに訪れた三沢市のマーケティング会社の方は、「青森では成田さんにしかできない仕事があるので、とても頼りにしています」と口にしました。地域に光をもたらす「やむなし系の星」として、成田さんは輝いています。

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